何か本を一冊紹介してください、というテーマで話をすることになりました。
ぱっと思いついたのは柏葉幸子さんの童話『霧のむこうのふしぎな町』。
この作品と、バーネットの『秘密の花園』が、私をつくった物語と言っても過言ではありません。
主人公は、すこしふっくらした体型の女の子・リナ。
夏休みを使って、父の昔の知り合いを訪ねに、送られてきたピエロの柄(え)のついた傘を手に『霧の谷』へ向かいます。
リナは、山の中で霧に囲まれ、気が付くとレンガ畳みの小さな町に迷い込んでしまいます。そこには小さなお店がいくつかと、大きなお屋敷。
お屋敷は下宿屋で、ピコットばあさんという意地悪な家主に「働かざる者、食うべからず」と言い渡されたリナは、何日かずつ町のお店で働く……という物語。
本屋さんのお仕事では、美しい羽ととんでもない口の悪さを持つオウムに出会い、
せともの屋では壺に変えられたワガママ王子とのちょっとした恋?のようなやりとり、
夢のようにおいしいのに、いくら食べても太らないお菓子屋さんでは、ちょっと切ない家庭の秘密をのぞいたり……
ページをめくるたびに胸が高鳴って、夢中で読みふけりました。
リナの部屋の窓の外にはオペラピンクの雲のような百日紅が咲いています。
その描写にうっとりして、百日紅という花も大好きになりました。
この本を手に取ったのは小学生のころ。
舞台になった地方に行けば、もしかしてあの町にも行けるんじゃないか……なんて、いまでも本気で夢見てしまいます。
霧の谷のくわしい場所は作品内で言及はされていないものの、作者の柏葉幸子さんが岩手の出身なのと、道を聞いた駅員さんたちの方言が東北弁なので、おそらく岩手県。
もう少し大きくなってから、宮沢賢治の作品を好きになり岩手への興味が深まりましたが、最初に「岩手に行ってみたい!」と思ったのは、間違いなくこのお話がきっかけです。
ちなみにこの町(めちゃくちゃ通り)には「必要な人は来られる」ので、本当はいつでも、どこからでも行けるんですけどね。
奥付で作者の柏葉幸子さんが薬剤師でもあると知って、薬剤師という職業にも憧れました。理系は苦手すぎて……というか、 嫌いな動物の写真が怖くて生物の授業を受けるのもつらかったので、その夢は早々に断念しましたが。
いろんなお店で様々な人と交流し、ふしぎな体験を重ねていくこの物語は、きらきらしたおもちゃ箱みたいでとっても魅力的でした。
出てくるお料理やお菓子もどれもおいしそうで。食べてもふとらないチョコレートキャンディーに絶品のサンドイッチ、たくあんを挟んだ珍妙な黒パンサンドまで、食べてみたいものだらけです。
いまでも「私にもピエロの傘のお迎えが来ないかなぁ」なんて思ったりして。
正式なルートは無理でも、本屋さんやお菓子屋さんにふらっと迷い込んで、あの町の空気を少しだけ感じられたらいいのに……と、そんなことを考えながら、ときどき本棚のこの一冊を手に取っています。
挿絵は複数あるようですが、お話の雰囲気にぴったりなタケカワこうさんのイラストがお気に入り。